靴擦れ
ただいまー!といういかにも陽気で酔っ払っていますという声が聞こえた途端、ルーイはまず面倒くさがらずに外に出ればよかったと後悔をした。
しかしそう思ったところで時すでに遅しというやつである。酔っぱらいはあっという間にルーイのことを見つけ、「ただいまー!」ともう一度陽気な帰還を告げた。
「うるせぇ」
「えーひどくない?せっかくお土産もらってきたのに」
「土産?」
「ほら」
そういって静流がよこしたのはポテトチップスだった。持って帰ってくるまでにぶつかったのかおとしたのかはわからないが、粉々に砕けている。食べるほうが苦労するだろうというレベルである。
だが何も言わないでおく。これを突っ込めばまた面倒なことになることはわかっているのだ。
ばりばりに砕けているポテトチップスの袋を適当に触っているルーイをよそに静流は「え、なんか痛いんだけど」と独り言にしては大きい声でつぶやいた。
「うわ、靴擦れしてる。えー靴下にまで血がしみてるんだけどこれ落ちると思う?」
「知るか」
「ひっど。どうしよう、血ってそんな簡単に落ちるイメージないんだけど落ちんのかな?ランスだったら知ってるかな」
「さぁな」
ここにいたのがルーイではなくランスだったならば衣服についた血液が落ちるかどうかまで調べたのだろうが、残念ながらいまここにランスはいない。なんなら今「どこか」にいるのがランスなのか、それともQなのかもルーイにはわからなかった。
静流も返答は特に期待をしていないかったのか、さっさと戸棚に向かい、「絆創膏どこだっけな」とつぶやいている。ちらりとみたそのかかとは確かに痛々しい靴擦れで血がにじんでいた。
「あのスニーカー気に入ってたのになぁ。今度履くときどうしよう」
「はかなけりゃいいだろ」
「気に入ってたっていったでしょ。せっかく色味もきれいだったのに靴擦れするのは困るなぁ」
しばらくごそごそと戸棚をいじっいていた静流だったが、ようやく絆創膏を見つけたのかソファのひじ掛けに足を乗っけるような形で腰をおろした。
だが、すぐに擦れて血がにじんだ傷口の上に握った絆創膏を貼りはしない。なぜか踵を抱え込むようにした姿勢のまま傷口をじっと見ている。
「なんかさぁ」
「あ?」
「記憶がないのって靴擦れみたいじゃない?」
「……酔っぱらってんならとっとと絆創膏貼って寝ろ」
「いやいやもうちょっと聞いてよ」
「面倒くせぇから聞きたくねぇんだよ」
帰ってきたときの陽気な空気が嘘のようにいまや静流を取り巻く周囲はしんとしていた。
時折こういうことがある。
そしてその痛いような静けさはルーイやランス、Qにすらなじみのあるものだから厄介だった。だから聞きたくなかった。
アルコールで酩酊した思考は日常的に行っている空気を読むという芸当を奪ったのか、静流は「だってさ」と言葉を続ける。
「自分を納得させるみたいに無理矢理ねじ込んでるみたいに思わない?」
「……そう思ってんのはお前だけだ」
「そう?本当はルーイだって思ってんじゃないの」
静流の指が自身の靴擦れの跡をなぞる。痛みを伴うはずのその行為をなんのためらいもなくできるのはアルコールのせいだろう。
「無理やりこうありたい、記憶を失う前の俺はこうだったかもっていう形にねじ込んで、そのせいで今の自分が傷ついてもおかまいなし。痛いならやめりゃいいのに結局その靴しかないからそれで歩いていくしかない」
「……」
「そういう意味だとクラスも契約も同じなのかもね。案外。本当はそうじゃなかったかもしれないのにクラスとか契約に合わせて無理矢理突っ込んでる」
「嫌なら出てっても止めねぇぞ」
「嫌じゃないって。いつも言ってるじゃん。仲間っていいねって」
「薄っぺらいな」
「ひどいな。本当に思ってんだよ?」
なおさら質が悪かった。
辟易したようなルーイを無視して静流は言葉をつづける。その視線は相変わらず靴擦れの傷に向けられていた。
「本当の自分の記憶を取り戻して、ちゃんと自分に合う靴を見つけてやっと俺たちは自由になれる。どこにでも行ける」
それはもはやルーイに向けての言葉ではなく、ただの独り言だった。
独り言というより言い聞かせるようなそれに何を言えるわけでもないことはルーイにもわかっていた。
記憶を取り戻したらどこにでも行ける、何かが変わる気がする、本来の自分へとなれる気がする。それらはすべてルーイもまた思っていることだ。
だから否定ができない。止めることもできない。
いま仮面ライダーなんてやっているやつはみんなそうだ。傷だらけの足を見ないふりして走って、歩いて、立っている。
はたしてその足に似合う靴を取り戻すのが先か、それとも。
「おい」
「んー?」
「つまんねぇこと言ってねぇではやくそれ貼って寝ろ」
「そうしたいんだけど絆創膏がうまく取り出せなくてさぁ」
取り出した形跡すらない袋のままの絆創膏を片手に静流がへらへらと笑う。これ以上付き合うのはごめんだった。ろくなことになりそうもない。静流も、ルーイの思考も。
ちっと舌打ちをして半ば奪うように絆創膏を取り上げて中身を取り出す。てっきり静流はそのまま貼ってくれるものだと思ったのだろうが、それに乗るのも癪だった。
「自分で貼れ。そんでとっとと寝ろ。俺はまだボス戦中断してんだよ」
「ここまでしたんだから貼るまで面倒見てくれて良くない?」
「自分で貼れ」
強制終了とばかりに背を向ければ「優しくねぇの」と文句が飛んできたので次酔って帰ってきても迎えに行かないことに決める。
絆創膏を貼ったところで傷が塞がるわけでもない。自分自身にしかどうしようもできない。アルコールもゲームも謎もいたずらも、娯楽は一時的に痛みを麻痺させるかもしれないが、それだけだ。
何もできることはない。
そうわかってはいるのに、どうせまた絆創膏の袋を開けるぐらいはしてしまうのだろう。
全く馬鹿馬鹿しいことだった。