呪文ばかりが長くなる
颯も少しばかり気を張ることに疲弊していたのかもしれない。
「あれ?颯くん、その包帯どうしたの?」
アルコールが入って少しばかり大きくなってしまった声はワインの在庫の確認のためにカウンターへと引っ込んでいた宋雲のもとへも届いた。
颯がいまついているテーブルはウィズダムを訪れるにしてはやや若い女子大生のグループがきゃっきゃと話している。声をあげたのはその中の一人のようだった。
包帯、というワードが気になってそちらを見れば颯が眉を下げて女子大生を見ているのが目に入った。
ボタンがとれたのかスーツの下に着ているシャツの袖がわずかにめくれている。その下には確かにいびつにまかれた包帯があった。
思わずため息をつきそうになったのを飲み込む。気が付かなかったのは宋雲の落ち度かもしれないが、それ以前の問題だ。
「あー、この前料理してたらうっかりフライパン触っちゃって」
「えー、意外とドジなところあるんだ!器用なイメージあった」
「皇紀さんみたいにはいかないからねー。ラテアートは勝てるかもしれないけど」
「え、ラテアートできるの?」
「できるよ、ラテアートといえばさぁ」
会話はスムーズに別の話題へと移る。ラウンジ勤務としてのスキルの伸びの目覚ましさは何よりである。
ふと視線に気が付いたのか、颯の眼が宋雲の方を見た。あからさまにしまったという顔をしたので悪いことだという認識はあるらしい。それだけは進歩かもしれなかった。
口の動きだけで「話がある」と伝える。しっかりと宋雲の意図を読み取ったらしい彼は客にはわからない程度に苦々しい顔をした。
「颯」
「悪かったってば」
「お前はそういうが本当に何が悪かったかわかっているのか」
閉店後のウィズダム。
客どころか浄も皇紀も帰った店内で宋雲と颯は向かい合っていた。
営業終了後、すぐに「話がある」と颯を捕まえたのだが、それを見ていた浄は「やれやれ」と肩をすくめ、皇紀は興味なさそうにさっさと帰っていった。要するに颯の味方はいなかった。
怪我の原因はわかっている。数日前のカオスイズムとの戦闘だ。障害になるような相手ではなかったものの、人通りの多い街中での戦闘はライダーにとってリスクが大きい。そのとき何が原因でけがをしたのかは定かではないし、重要ではない。
問題はそれを颯が黙って今日まで過ごしていたことだ。
「……何も言わないで仕事してたこと?」
さすがに何が悪いかは本人も自覚していたらしい。自分でまいたのだろう雑にまいた包帯を触りながら「でも」と頬を膨らませた。
「前みたいに動けないほどの怪我ってわけでもないし、ちょっとざっくりいってるぐらいだから仕事するには問題ないしさぁ……」
「問題ないと思うならば言えばよかっただろう」
「言ったら宋雲今日フロアに出さなかったでしょ」
だから言いたくなかったという颯はどうしたって何もわかっていないようだった。
颯がウィズダムにきたばかりの頃にも似たようなことがあった。そもそもカオスイズムの理念のおいて自己犠牲は美徳だ。自分が傷ついてでも任務は遂行することが誉である。カオスイズムにいたころの颯は特にその毛色が強く、仮面ライダーとして戦うようになってもその半ば強迫観念じみた理念は抜けることがなかった。
その結果、敵を倒し、情報を引きずり出すことを優先しすぎて大けがを負ったのだ。それでも颯は戦おうとしたし、ラウンジへ出ようとした。
まるで動き続けなければ死んでしまうような、そんなふるまいだった。
そのときの聞く耳のなさを考えればこうして素直に説教を受けようとしている分ましなのかもしれないが、隠そうとしているのであれば同じことだ。
しかしその時よりはましだとはいえ、どう伝えればいいのか、どうすれば伝わるのかが宋雲にはまるでわからないというのも事実だった。
あの時は素直に心配だとかそういうことを言った記憶がある。だが、言っている最中もそれから時間がたった今でもその言葉が颯に響いているとはとても思えない。
相手を心配するという感情がわからないというわけではないのだと思う。だが、どうにもこうにもその心配や気遣いを頭で「理解」できていても「実感」はしていないような感触はあった。
いくら伝えてもすべてが空振りするような感触。まるで透明人間相手に手を伸ばしているような感触。
だが、問題があるのは颯の捉え方だけではないことも気が付いていた。
宋雲には負い目がある。
どうなるか分かったうえでアカデミーへ颯をわざと置いたのはほかならぬ自分だ。颯の自分を換算しないような戦い方や考え方の癖を形成するきっかけを与えたのはほかならぬ自分なのだ。
だからこそ踏み込めない。心配だとかそういうものを颯へと向ける資格が自分にはないのだ。
ほかならぬお前のことが心配だから無茶をしてほしくないのだとありのままを伝える資格は宋雲には、ない。
「言っていたらフロアには出してない」
「ほらやっぱり!」
「当たり前だろう。今日もお客様に心配をかけた」
だからこういう言い方しか宋雲には許されていないのだ。
「そうやって心配をかけさせることでお客様の心を曇らせてどうする。ここでは現実を忘れて楽しんでもらうのが俺たちの仕事だ」
違うか、と念を押せば「違わないです……」と沈んだ小声が返ってきた。
「だから余計な心配をかけさせる前にきちんと対策をうて」
「その対策がフロアに出ないことだったら……?」
「そのときはその時考える。フロア以外の仕事も大切な仕事だろう」
颯のことが大切なのだと言外に伝えたつもりだった。しかし颯の表情は明るくなることはなく、「宋雲」と小さく名前を呼んだ。
「もしさ、僕が」
「なんだ」
「……なんでもない」
颯が言葉を飲み下す。飲み込んだそれを追求すべきか、否か。考えて首を振った。やはりどうしたってその資格が自分にはない。
お前のことが必要で心配というのならどうしてアカデミーに置いたのか。そう聞かれて答えられる気はあまりしなかった。
「ごめん、宋雲。気を付けるからさ」
「本当にそう思ってるのなら次からはちゃんと言え」
颯は宋雲の言葉に頷かなかった。その代わりに「包帯うまく結べないんだよね」とすっかりほどけかけている腕を差し出して笑う。
ずっと包帯を結ぶのに慣れるなとはやはりどうしたって言えなかった。