めでたしには縁遠い
※AGF前には何をしてもいいと聞きました ※大体15歳前後を想定してます  自分にあったのは商才ではなかった。  そういうとおそらく7割の人が首をかしげ、残りの3割は嫌味を言われたのかと勘違いするだろう。  それはそうだ。いまやすっかり名の知れたキャラバンの一つであるGravityを自分の生家よりも巨大にしたその立役者。もちろんそんな男が商才がないなどと言っても頷く人は少ない。  しかしハル本人からすれば自分にあったのは商売の才能ではなかった。  そちらはハルの父親の方が上だろう。  場数を踏んで研鑽を重ねたとしても同じ歳ごろの父にまでいたれるかというと不可能だ。これは本人だからわかることなので他人がどうと言ってもハルの中でそれが揺らぐことはなかった。  そのことに気づいた時、ハルの中にあるのは絶望感ではなく、ただの諦念だった。  おそらく自分は何の名も実績も残すことなく、ただの商家の人間として人生を終える。  それでもよかった。明日食べるものにも困るような人間が溢れるなかでそんな心配をすることなく、国1番と言われる学校に通うこともできる。急に父に放逐されなければ将来も約束されているようなものだ。  劇的はない。けれど不安もない。それが恵まれているということだとわからないほど愚鈍でもなかった。  そうした諦念がじわじわと砂漠のようにハルの心を乾かしきる、その前のことだ。  劇的がないはずの人生が180度ひっくり返ってしまったのは。  父親はハルが様々な分別がある程度つくようになったころからスラム街につれていくようになった。  いわゆる上流階級といわれる(実際にそういった明確な地位があるわけではないが)人間がこの場所を通ることは「あまり」ない。  護衛もつけずに一人で、ならなおさらだ。秩序もなければ法もない。ここではすべてが自業自得としてしか扱われない。  もし財布が盗まれたとしてもそれは盗める場所に持っていた自分が悪い。もし死んだとしても自分自身を守る力がなかった自分が悪い。  そういった場所に子供を連れていく。もちろん母親は大いに反対したが、父が聞く耳を持つことはなかった。  なぜ自分をスラム街へ連れていくのか。明確に聞いたことはない。最初は自分に市井の様子を見せたいのかと思ったが、すぐに違うと気が付いた。  スラム街で父親が見ているのはハルと同じ年ごろの子供だったからだ。  あちこちで諍いが起きていたころのよりもはるかに死亡率は減ったという。だが0ではない。  だから後を継ぐ可能性があるものは多ければ多いほどいい。  後を継ぐ側からすればろくでもない話だが、選ぶ側であれば選択肢も可能性も多いに越したことはない。わが子かわいさで決めてしまう人間は親としては正しいのかもしれないが、競争が激しくなる一方の商売の世界では歓迎されることはない。  そういった人間を探す場合、もちろん学校などで探すという手もあるだろう。だが、リスクが低く、かつ言ってしまえばコストもかからない場所がある。  それがここ、スラム街だ。  国が孤児院の設立などを進めてはいるものの、追いついていない部分の方が大きい。とはいえ、ハルも実際に連れられてくるまではここまで進んでいないものだとは思っていなかったのだが。  道にすわりこむ子供や話しかけて手伝いをふっかけようとする子供と話しながら父親は彼らを見定めていく。そうして帰り道でハルに尋ねるのだ。 「今日はどうだった?」 「……特に」  答えはいまのところこれだった。何もハル自身が立場を脅かされることにおびえているのではない。本当にハルが気になるような人物がいなかったのだ。  父もそれをわかっているのか、「そうか」というだけだった。  だから今日もそうなるのだろうとハルはぼんやりと普段見る大通りとはまるで違う通りの風景を歩きながら考える。大体スラム街だけで何人といるような子供の中から家にかかわらせたい、と思うような人間を探すのは砂漠でガラス片を探すのとさほど大差ないだろう。  いつまでこんなことを続けるのか、とも思うが、実をいうとハルはこうして普段見ることがない風景、かかわることのない人間を見ることができるのは嫌いではない。  勉強はむしろ好きなほうだ。机に向かって知識を広げることは楽しい。  だがそれだけで完結できるほどハルの好奇心の欲は浅くなかった。  目まぐるしく状況が変わっていくこの国で商売を生業にしていくために一番の武器となるのは「今」への見識だ。それを知るのには人の波にもまれることが一番手っ取り早い。  父がハルを連れて行くのもそういった狙いもあるのだろう。ハルの研鑽と自身の手札探し、どちらも同時にできるのだからこれほどいい手段はなかった。  父の狙いがどうであれ、ハルとしては提供してもらえる場ならば有効活用するのみだ。 「おい、そこの坊ちゃん。こんなところ歩いてたら命がいくつあっても足りねぇぞ。どうだ、頼れる護衛を雇ってみるのは?」  後ろから野太い声がした。振り返るとがたいのいい男がにやにやとしてハルを見つめていた。確かに見るからに護衛には向いてそうな体つきではある。命がいくつあっても足りないのも事実ではある。だからといってあからさまに自分を値踏みするような視線を向ける人間に自分の身を守らせるのは今度は財布がいくつあっても足りなさそうではあった。  無視しようかと思ったが、振り返ってしまったがために難癖をつけられる可能性もある。  とりあえず人当たりのいいだろう笑顔を作って 「いや大丈夫。裏路地なんかには入るつもりはないし」 「表に危険がないと思ってんならそれこそ甘ちゃんってやつだな。この大通りで人が倒れてても誰も助けてくんねぇぞ」 「それはまぁそうだろうけど」 「ほらな、金は戻ってくるが命は戻ってこねぇんだ。ならどうするかのが賢い奴のやり方かはわかるんじゃねぇか?」  話している間にも男の視線は上から下へとせわしなく動く。果たしてどれぐらいふっかけるのか適度なラインなのかを見定めている。下手に高い値段を提示しても断られるし、安すぎても利益は得られない。それが判断できる程度にはこういうことを何度かしているのだろうということは想像に難くなかった。  そしてハルもこういうことを判断できるほど似たような経験はあった。 「ご忠告は助かるけど必要ないよ。自分の身ぐらい守れる」 「おいおい、ここはあんたが普段いるようなとこじゃないんだ。坊ちゃんがならうような護身術の真似っこじゃ腕の一本も守れねぇよ」  わざとらしく声をあげる男にハルが顔に張り付けた笑みも徐々に固まってくる。しつこいと商機を逃すと父は言っていたが、こういうことかと身をもって感じる。  しかしどうしたものか。父親からは禁止されているが、もういっそ魔法を使って――。 「おい」  ハルのそうした思案を止めたのは聞いたことのない声だった。声は男の背後からだ。  覗くようにしてみるとそこにはハルと同じ年ごろの少年が立っていた。スラム街にいる同じ年ごろの人間にはほとんど会った気でいたのだが、すれ違った記憶もない。新入りだろうか。  首を傾げるハルとは対照的に男の方はあからさまに動揺した顔で少年を見ている。一歩後ずさる姿にはさきほどの威勢はない。 「ハ、ハジメ……」 「そこまでにしとけ。多分お前が敵うような相手じゃない。自分の身ぐらい守れるのも本当だろう」 「……わ、わかったよ」  男はハジメと呼ばれた少年にだけ会釈をして去っていった。がたいのいい体を縮こませた後ろ姿をハルはあっけにとられて見送る。  ただものではない、という話ではない。一体何者なのだ。そもそもこういうことができる人間なのにどうして何度もスラム街に来ているはずのハルは知らなかったのか。 「……あの」 「勘違いするなよ。俺が止めたのはお前にここで魔法を使われたら面倒なことになると思ったからだ」 「え?」 「使おうとしてただろう」 「よくおわかりで……」 「じゃあ俺は」 「いやいやちょっと待ってよ」  本当に去っていきそうなハジメの腕をつかんだ。あからさまに嫌そうな顔をされたが見ないことにした。大体ハルでなくともこの状況で「じゃあ」と彼のことを立ち去らせる人間はそういないだろう。 「君、何者?俺、結構ここに来てる方だけど一度も見たことない」 「それは……逃げ回ってたからな」 「逃げ……?」 「お前、よく出入りしてる商会の息子だろう。明らかに面倒そうだったから口止めしてた」 「ああ、そういうこと……」 「納得したか?」 「納得はしたよ。でももう一つの質問に答えてもらってない。何者?」 「何者といわれてもな」  あからさまに回答に迷っているのかハルがつかんでいないほうの手で頬をかく姿は意外にも年相応に見えた。 「ここに長くいるせいか、勝手に周りが盛り上がって取り仕切らせてるだけだ」 「……あ、わかった。もしかして君が黒い王様?」  それはハルが子供たちから聞いた噂話の一つだった。この辺りにはみんなを守ってくれる黒い王様がいて格好いいのだと、子供たちが目を輝かせながら話していたことがあった。ハルはてっきりおとぎ話の類だとしか思っていなかったのだが、どうやらそうではなかったらしい。子供たちの口にまでは箝口令を敷けなかった結果が黒い王様というおとぎ話じみた話になったようだった。  なるほどねぇと納得するハルをよそにハジメはあからさまに渋面を作った。端正な顔をしているので不機嫌な表情をされると異様に迫力があった。 「そう呼ぶなと言ってるんだがな」 「いいじゃない。似合ってると思うよ」 「王なんて器じゃない。ただのスラム街生まれの子供のうちの一人だ」 「生まれは重要じゃないよ。結局素質の問題だ」 「……金持ちの子供に生まれたお前がそれを言うのか?」 「そういう家に生まれたから言うんだよ。実際俺は商会の息子に生まれたけど商人としての才能はない」  もしかしたら法が法として機能していないスラム街を取り仕切っているハジメのほうがよほど商人としての才能はあるかもしれない。そういった意味で今日まで彼がハルと父親から逃げ回っていたのは正解だっただろう。 「まったくないとは思わないけど、それでもある程度でしかない。もしそうじゃなかったら父さんはここにこなかっただろうしね」 「……それでいいのかお前は」 「うん。別に家を継ぐことにこだわりはないし、もし俺以外が継いだとしてもいきなり放逐はしないだろうし……。ああ、そういうことか」  驚くほどすらすらと己の心情がでてきたのはハジメの雰囲気なのか、それとも彼が全くの赤の他人だからというだけなのかはわからなかった。けれどそうして言葉にしていくうちに気が付いてしまうことがあった。気が付いた、というよりも見ないふりをしていた部分が顔を出してしまったという方が近いのかもしれない。 「俺、やりたいことがないのか」  言葉にしてしまえば簡単なことだった。つきものが落ちたとまではいかずともすっきりとした感覚はあった。同時に自分の中に広がっていた砂漠じみた渇きの正体も理解した。  好奇心があっても知識欲はあってもそれを活かしたいと思える先がハルにはないのだ。  そういうことかぁとうなずくハルをハジメは胡乱なものでも見るような顔をしてみていた。  だからこそ聞いてみたくなった。 「ハジメは?」 「え?」 「ハジメはあるの、やりたいこと」 「俺?」 「そう、なんでもいいけど」  逡巡は一瞬だった。 「遠くに行きたい」 「遠く?」 「ああ、どこでもいい。ここじゃないところを見てみたい。キャラバンがあるだろう?ああいう風に旅をしてみたい」 「それは……」  やればいいじゃないかと言おうとしてはっとした。この国の出国許可は意外と厳重だ。完全に外部の人間は入るのも出るのも難しくないが、中にいる人間が出るのが面倒なのだ。まず戸籍が必要になる。  それはスラム街にいる、ここで生まれた子供たちのほとんどは持ち合わせていないものだった。  それはハジメも例外ではない。ここで「王様」と呼ばれていようが、国が持っている書類の上で彼はどこにもいない。  だからこそ彼のいう遠くに行きたいは叶わない夢で憧れなのだ。少なくとも「今」のハジメにとっては。 「……叶えてあげようか」 「は?」 「遠くに行きたいんだろ?かなえてあげようか、それ」 「……言っとくが、俺はお前の父親にこびへつらうつもりも商会の人間になるつもりもない」 「わかってる。そういうことじゃない」 「じゃあ」 「キャラバンだよ。君は申請できなくても俺はできる。父さんにはそうだな、社会勉強とでも称せばいいし」 「お前に何のメリットがある?」 「あるよ」  ハルは思い出す。子供のころに母親に聞かせてもらったおとぎ話。なんでも叶えてくれるランプの魔人がある男を王様にする話。  その話を聞いてハルがあこがれたのは主人公の男ではない。 「あいにく俺はランプの魔人ほど万能じゃないけどね」  それでも何にもなれなかったはずの人間で終わるよりもずっといい。乾きかけていたはずの心臓が騒がしく音をたてる。この音をきっとハルは忘れることはないだろう。