汝、隣人を愛すな
※AGF前には何をしてもいいと聞きました その2
「魔法が使えないってどういう感じ?」
突然投げられたにしてはいささか直球過ぎる質問だったのでイクは面食らってしまう。思わず手に持っていたスコーンを落とさなかっただけましだといえる。
「おい、ヨル」
頬杖をついていたヨウがたしなめる。いささかお茶の時間の席にしては行儀が悪いが、彼の前のティーカップはすでに空になっているのでヨウとしてはお茶の時間はすでに終わっている感覚なのかもしれない。
いっぽうで質問を投げかけてきた張本人は半分も減っていない紅茶の入ったカップを見つめていた。すでに自分が質問をしたことすら忘れていそうにすら見えるが、そんなことはないのだということをようやくイクは理解しつつあった。
「……え?」
「え?じゃねぇよ。興味のままに人に聞くなって言ってんだろ」
「もしかして聞いたらまずかった?」
「あはは、いや大丈夫ですよ。慣れてるので……」
欠格者として生きてきた以上、避けて通らずにはいられない。魔法が使えるようになって三か月、魔法が使えない時間が20年以上。魔法を使うよりもこちらのほうがよほど慣れていた。
「それにヨルさんに悪気がないのはわかりましたから」
こういう質問を投げつけられる場合、たいていは悪意か憐みのどちらかが含まれていた。なにせ魔法を使えるものが8割以上を占めるのだ。大多数が持ちえないものを持っていない者に対する視線というものはそういうものだった。
世間に悪態をつこうが、自暴自棄になろうが、どうしたって変わらないものは変わらない。後天的に魔法を使えるようになるという触れ込みの怪しげな薬を売る人間もいたが、薬でどうにかなるものでもない。手に入らないものはそういうものとして飲み込むしかないと思ったのははたしていくつの時だっただろうか。
それでもイクはまだ恵まれているほうだ。周囲には魔法が使えないからというだけでイク自身を見ないような人間はいなかった。わかってそのうえで助けてくれる人間のほうが多かった。そうだったからイクはこうしてつぶれることなく生きてこられた。
……まさかその先に待っていたのが冥王星の守護宮でのんびりお茶会だとは思ってもみなかったが。
人生わからないものだなぁと遠い目をするイクになぜかヨウは「そういうとこなのかもなぁ」と妙に納得したつぶやきをもらした。
「そういうとこって?」
「シュンが気に入ってるとこ」
「俺って気に入られてるの?」
「それはもうめちゃくちゃに。あいつが気に入らない人間ここに置いとくようなやつに見えるか?」
「うーん……そんなに悪い人だと俺は思わないけど……」
今度は打って変わって呆れを凝縮したかのようなため息をつかれた。ヨルも眼鏡の奥の眼が「それはないなぁ」と語っていた。
「悪いとか悪くないとかいい人とかいい人じゃないとかじゃねぇわけ、あいつは」
「それってどういう……」
「いっくんは人がたくさん巻き込まれて死んだとして嵐に善悪ってあると思う?」
「それは、しょうがないというか。自然災害ですし……」
「それと同じだよ」
「ヨル、お前例え話うまいな」
「別に褒められても嬉しくないよ……」
「俺に魔法と薬のことほめろっていう方が無理だろ」
「それもそうか」
「おい」
「ええと嵐と同じって……」
澱みなく続いていくやりとりに途中でストップをかけた。三ヶ月の付き合いでシュンのことはよくわからずとも二人がこういった会話を始めた時はどこかで止めなければ長々と続くことはさすがにわかっていた。
「これも何かのよしみだ。一つだけアドバイスしといてやるよ」
「アドバイス?」
「絶対にシュンに変に肩入れすんな。恩を感じるとかそういうのならまだしも、理解しようとかそういうこと考えんな」
頬杖をついたままのヨウの指先がカップの縁をなぞった。
「自然災害と同じだからってこと?」
「そういうこと。嵐と対話して、こっちに来んなとかいうやついないだろ?そもそもさ、お前は知らないかもしれないけどあいつが欠格者に魔法使えるようにしたのお前が初めてじゃねぇんだよ」
「あ、それは聞いた」
「誰から?」
「シュンさん」
ここにきて三日目ぐらいのことだった。
どういう流れだったかは忘れたが「前の子たちと違ってイクは落ち着いてるねぇ」と感心したように言ったから尋ねたのだ。自分の他にもそういう人間がいたのかということと、その彼らはいまどうしているのかということを。
……シュンが話してくれた彼らの末路は正直あまり思い出したいものではなかったが。
だが、自分が初めてではないということ自体に対してイク自身は特に何も思わなかったので「ふぅん」程度にとどめていた。
しかしヨウはそうではなかったのか「あいつ自分で言ったのかよ」と眉を寄せた。
「俺の前にきた人が死んだのも聞いた」
「うわぁ……」
「そこまで聞いたのかよ。じゃあ死因も?」
「そこまでは聞いてないけど……」
というかシュン自身も覚えてなさそうだった。そこを深く突っ込む気にもならなかったイクもイクだと今なら思えるが、何せ三日目の話なので許してほしい。状況を把握するので精いっぱいだ。
「自殺」
「え?」
「書庫に続く階段あるだろ?あそこから飛び降りた」
「……」
「冥王星の使徒っつっても不死じゃない。あの高さから地上に落ちたら死ぬ」
「不死だったらもっと呪いとか試せたのに」
「お前はそっちかよ」
「自殺って、原因は」
口から疑問が転び出かけてはっとする。ヨウのアドバイス、「シュンに変に肩入れすんな」ということはつまり。
イクの考えを見抜いたように「あたり」とヨウは肩をすくめた。
「俺も詳しいことは知らないんだけどさ、たぶんシュンになんか言われたか、何も言われてないか」
「入れ込んでたからね、あの人。久々に珍しいぐらいに」
だがいくらなんでもと言おうとして、それがいくらなんでもではないことに気づく。魔法が使えるようになる前もイクは恵まれていた。
だが彼がそうではなくて、喉から手がでるほどに魔法を使えるようになることを切望していたら?
それを与えてくれたシュンに対してどういった感情を持つのか。考えずとも想像は簡単についた。
そしてそういって身を滅ぼしていった人間はイクの前にいた彼だけではないのだろう。
「ここにいるやつ、俺もヨルもカイもルイも下で生きるにはどうしたって半端ものだ。だけどあいつはそういう半端ものを拾い上げていいことしたいとかそういうんじゃねぇんだよ。面白そうだからやってる。興味があるからやってる。そんだけ」
「……だから善悪とかそういう話じゃないってことかぁ」
確かにヨルのいったたとえ話は言いえて妙だ。その本人はようやく紅茶を飲み干すところだった。
このお茶の時間ももう終わろうとしている。
「仲良くすんなとはいわない。でも入れ込むのはおすすめしない。俺は」
「……ヨウ」
「なんだよ」
「いっくんのこと気に入ってるんだ」
「……今までの奴よりはましだろ」
「でもうん、俺もいっくんは好きだな。ハーブ取るの手伝ってくれるし」
「あはは、それぐらいならいつでも」
「気をつけろよ、こいつの育ててるハーブ触っただけでも爆発するやつあるから」
「え」
「そ、それはヨウが止める前に触ったからであって……」
半端者だと自ら言った二人の会話はいわゆる彼らが下と呼ぶ人間たちの会話と何も変わらない。
ヨウはシュンが自分たちを拾ったのは興味でしかないといった。それを聞いても素直に頷けないのはそうした面があったとしてもやはりどこかでシュンにも「彼らのため」があったのではないかと思ってしまうからだ。
二人が聞けば呆れられるような考えかもしれない。ヨウは「アドバイスしたのに」と怒るかもしれない。
だがそうであってもイクはそうした思いを捨てられそうになかった。
ティーカップに僅かに残った紅茶を飲み干す。すっかり冷えたそれは舌に苦さだけを残した。