やがてしるべになる
からんころん。
響く音とともに現れた夜の頭からつま先までを見て「大変そう」と新は素直な感想を漏らした。
夜はその感想に一瞬きょとんとしたが、すぐに「あぁ」と自身の足元を見せる様に片足を上げた。
「これのこと?」
「そう、和装はあっても下駄履くことはなかなかないじゃん、俺たち」
新のいう「大変」の原因は夜が履いている下駄だった。もちろん私服ではなく衣装である。
「うーん、最初は大変だったけどわりと慣れちゃったな。ありがたいことに一年に一回は履いて走ってるわけだし」
「三本目だもんなぁ」
新があまりに感心した様にいうので夜も照れ臭くなる。
二人がいるのは年末に放送されるドラマの打ち合わせも兼ねた衣装合わせだった。夜は三回目の金田一耕助として、新は今回舞台となる村に住む青年役としての出演だった。
本来は単発ものとして予定されていたのだが、容赦なく人間の暗い部分を描く方向性が好評だったらしく、あれよあれよという間に続編の作成が決まり、そして今年もまた夜は金田一を続投することになった。ありがたい限りである。
今回はそれに加えてサプライズがあった。それが新の出演である。なんでも監督がもしこの作品をやるなら絶対にと目をつけていたらしい。しかしその段階では新のことを新進気鋭の若手俳優だと思ってたらしく、彼が夜と同じ事務所の人間だとは知りもしなかったという。
「まさか去年一昨年と寮で見てたドラマに出ることになるとはなぁ」
「そういえばグラビはみんな揃って見てたんだっけ?」
「そう。俺とピンク頭は若干ビビってた。マスクマンに」
「マスクマンって」
急にスケキヨが陽気なキャラクターに聞こえてくる。仮にもミステリ界のアイコンとしては大御所である。
「だからわりといま感動してる。おぉ、本当にテレビで見たやつだって。袴とかは去年とは違うやつなんだな」
「よく覚えてるなぁ。そう、衣装は作り直してっていっても、ヨレヨレなんだけどね。金田一だから」
年季の入った和装、形の崩れた帽子、穴の空いた足袋と金田一を象徴するアイテムはどれもぼろぼろで、これを新調したというのもおかしな話だが、実際にぼろぼろになっているのとあえてぼろぼろにみえるようにするのはまた違う話だ。
「でも下駄だけは去年、というか一昨年からのやつのままにしてもらった」
「へぇ、やっぱり履き慣れてるとか?」
「うん、一年目はそれで苦労したから……」
一作目の時、履き慣れない下駄で整備されていない土の上を走るというのは夜が思っている以上に大変なものだった。
もちろんただの長月夜として走るならまた違うだろうが、金田一として走ると言う意識を捨ててはならない。誰もが知っていて熱烈なファンも多いキャラクター。しかも舞台が続き、映像での芝居がひさびさだという緊張もあった。
様々な要因が重なり、夜は変に気負っていたのだ。
その結果。
「転けたりセリフが飛んだりで、撮影が押して、挙句の果てに雨が降ってきて下駄で走れる様になるまでまた時間かかったり……」
思い出すだけで胃が痛くなってきた。
もちろん天候の悪化は夜のせいではないし、そもそも収録当日の朝から天候の心配はされていたので現場全体に「しょうがない」という空気は流れていた。
それでもやはり夜がもう少しうまく立ち回れば撮影はもっと順調に進んだだろうとは思う。責められないというのもそれはそれでしんどいものだった。
だが、だからこそ得られたものもある。
「でも、そんなことが最初にあったから、今でも金田一やるときは緊張するけど、変に考えすぎるのはやめようって思えたんだ」
結局、夜には夜のできることしかできない。それを全力でやるしかない。
そういったことを思い出せるから夜はこの下駄だけはそのままにしておいてもらっていた。一年に一度だけ、年の暮れにやるという意味でもそういったことを思い出せるものがあるのは悪いことではないはずだ。
「なるほど、夜にとっては戦友ってことね。その下駄くんは」
うんうんと新がうなずく。彼らしい物言いだが、確かにそれが一番しっくりきた。
「うん、戦友。たしかにそうかも」
「探偵だから助手のがいいか?……金田一って助手いたっけ?」
「明確な助手はいないんじゃなかったかな……」
「残念ながら新青年は村の青年で助手にはなれないしな」
「助手じゃなくても新がいるのは心強いよ。下手な芝居はできないなと思うし」
「お?そういわれたら俺も負けちゃられないな」
「その意気なら大丈夫そうだね」
「え?俺は下駄じゃなくて洋装だけど」
「いやそっちじゃなくて、ほら」
「ほら?」
「滝」
新の役にはたしかに下駄という試練はない。探偵として村を訪れる夜とは違い、新は親しい間柄の人間が亡くなっていく役だ。
その中の一人の死体発見現場は村にある滝つぼの中。
「……負けちゃられないな」
「新、目が泳いでる」
「俺より先に目の方が」
「新青年は泳がないでしょ」
いまはふざけていても、それでも新もやれることをやるのだろう。きっと今年も得ることは多い。果たしてどれほど持ち帰れるだろう。
背筋を正す様に3年目の付き合いとなった戦友をからんと鳴らした。