不透明の中身も時々教えてね
 あっと言う前に鞄の中身が勢いよくひっくり返った。その日持っていたのが容量が大きめの、チャックのついていないトートバッグだったことも災いした。 「あー!」 「え、なに。……あーあ」  タイミングよく、あるいは悪く、スタッフとの打ち合わせから帰ってきた陽が楽屋の惨状に「なんかに引っ掛けた?」と首を傾げた。 「うん、椅子にひっかかってたみたいだ」 「それにしても勢いよくひっくり返したな。今日のアンラ、お前じゃなかったよな?」 「恋じゃなかったかな」  それにこれはアンラッキーというよりただの夜の不注意だ。もしアンラッキーだったらカバンの中に液体が入っていて大惨事だったに違いない。  台本や財布などを拾いながら、ふとこのあとの雑誌の取材を思い出した。 「ちょうどいいかも」 「なにが」 「ほら、このあとの雑誌のインタビューのテーマ、最近起きたプチハプニング」 「最近すぎるし、プチすぎじゃね?」 「でも俺たちの周りのハプニングってこれぐらいめちゃくちゃプチか異世界すってんころりん並の大きさだし」  これだからプロセラはと言われる所以でもある。 「一か百どころか、ゼロか無限大なのやめろって話だよな」 「あはは……。あ、陽、足元にあるポーチとって」  綺麗にスライディングをしていたポーチが陽の足元にまで行っているのに気づく。陽はすぐに屈んでとろうとしたが、その動きがなぜかぴたりと止まった。 「陽?」  ポーチは以前出演したドラマのグッズとして発売されたものをもらったものだ。ロゴが描かれただけのシンプルなデザインだが、見た目以上に色々と入るので重宝していた。  しかしそれ以外に何か特筆すべきものがあるわけではない。ただのポーチだ。陽が出ていたわけでもない。  ではその中身が。 「あ!」 「夜」 「陽、それ違うから!」  わずかにチャックが開いていたのか、それとも滑り落ちた時に開いてしまったのかはわからない。  陽の手にあるのはポーチとそれからその中に入れていた封の切っていない煙草だった。 「……いやなんも言ってねぇ」 「言わなくてもわかるから!それはあくまで次の役作りにと、次の役って失踪した恋人を探す探偵で、喫煙者の役だから」 「長月夜、新境地って書かれてたやつだろ?」 「そう!それ!それだから!」 「別にそんな言い訳しなくてもわかるわ。相方の仕事ぐらい把握してる」 「……でも陽」 「なに」 「ショックだっただろ、一瞬」  陽が黙り込んだ。  本当に一瞬だけだったのだろう。陽はすぐに役作りだと気がついたはずだ。相方の仕事の把握も仕事の内ではあるけれど、それ以上に、夜が陽の仕事を気にかけるのと同じように陽も夜の仕事を把握している。  それでも、そのことを思い出すまでの一瞬。 「ごめん」 「なんで謝んだよ。別になんでもかんでも知ってなきゃ気が済まないっていうわけでもないだろ」 「そうなんだけどさ」  陽の言う通りではあるし、相談してというのも何となく違う。本当に吸っていたらまた別の話だろうが、買ってみただけで封すら切っていなかった。時々自室で煙草の箱を触ってみてこれに頼らなければいけないというときはどんな時だろうと想像をしていただけだ。  だから謝ることはないのだけれど、仕事の上でものである以上、そもそも隠す必要もなかったわけで。  それを意図せずして気づかれてしまったという今の状況はどうしたっていたたまれなさがあった。 「……浮気がばれた人ってこういう感じなのかな」 「これ誰の煙草よって?」 「やめて、なんか本当にそんな気分になってきた」  いよいよ眉を下げる夜に陽は「役に生かせよ」と笑って煙草とポーチを夜に手渡した。ちなみに残念ながらこれを活かせそうな仕事はいまのところ来ていなかった。 「むしろよかったかも、俺としてはね」 「え?」 「役とはいえ、夜が煙草吸ってるところ、なんも知らずにみたらそっちの方がひっくり返りそうだし」 「それは……そうかも」 「俺でこうってことはファンの子とかびっくりすんじゃね?トレンドにあがりそう」 「そんな夜くん見たくなかったって?」 「そっち?女の子って意外な一面にひかれがちだから喜ぶと思うけど」 「そういうものかなぁ」 「俺が役で吸っても吸ってそうぐらいしか言われなさそうだし」 「それはそういうものかも」 「おい」  きちんと見ているファンの子はそう思わないだろうが、パブリックイメージとして「チャラチャラしている」がいまだに先行する陽は意外な一面とはならないかもしれない。しかしそれはそれで喜ばれそうだなぁと思う反面、自分のことを好いてくれる人がそういうシーンを見て喜んでくれるというのはいまいち想像がしにくかった。 「まぁそんなわけだし、一瞬、ほーんの一瞬びっくりしただけでショック受けたとかじゃねぇから」 「……うん」 「でももし」  陽の指が夜の手の中にある煙草の箱をつついた。 「こういうのに頼りたくなったら言えよ、頼むから。俺じゃなくてもいいから」  冗談じゃなくな、と付け加えられたそれは冗談には聞こえないほど切実な響きを持っていて、ああやっぱりショックだったのだと実感する。  何でもかんでも知っていなければ、相談をすれば、というわけでもない。それでもやはり頼る相手として、選択肢として自分がいてほしい。  夜が陽にそう思うように。 「うん、ありがとう」  だからこそ選ぶのは「ごめん」ではなくこちらだった。 「おう。ドラマ、楽しみにしてる」 「任せて」 「お、いいじゃんいいじゃん。煙草のシーンカッコよく撮れよ」 「そこは……お手柔らかに」  苦笑いしながら手の中の煙草の箱を握りしめた。少し角が丸くなったそれの中身を頼る日はきっとこないだろう。