知らぬ間のシンメトリー
「陽ですかね」
自分の名前、しかも恋人の声で呼ばれたものだからぎょっとしてその方向を見たのは半ば条件反射だった。
もちろんそこに本人がいるわけもない。なにせドラマの撮影のためにあてがわれた陽の楽屋である。共演者が交通渋滞に巻き込まれ、少しばかり待機時間が発生したので時間を持て余している陽の楽屋。
テレビをつけていたのはそんな状況だからなんとなく落ち着かないがゆえのBGM代わりだった。
画面も見ておらず、途中からはファッション誌の連載用の原稿を携帯に打ち込むことに意識がいっていた。おかげでつけたときには美味しいハンバーグ特集をしていたグルメ番組がお昼のご長寿情報バラエティになっていることにすら気がついていなかった。
陽も呼ばれたことがあるスタジオには新が何やらよくわからない調理器具を持たされている。テロップを見れば「驚きのキッチン器具!?これであの料理も!?」とポップな文字が踊っていた。なんとも平日のお昼間らしい特集である。
しかしそのキッチン器具でどうして自分の名前が出てきたのだ。カレー皿、ならまだわかる。CM効果もあってパブリック的なイメージもある。
だが、新がいま持たされているのはどうみてもお玉でカレーとは特になんの関わりもなさそうだった。
「そうなんだ、グループ違っても仲いいねぇ」
「ツキプロさんってそうですよね。そういえば……」
スタジオはそのまま次の話題にうつってしまう。時間からしても話題が戻ることはないだろう。
いっそネットで検索してみてしまうか。陽の名前が出たのは確かなのだし、検索をすればなぜ陽の名前が出たのかはすぐにわかるだろう。ファンというのは時折陽が想像をしていない部分でもアンテナを張っている。
「……」
携帯を手にとって検索窓を開きかけてそこでやめる。理由は見ないふりをするが、癪だった。これが新に対するものなのか、それとも第三者に頼ろうとしている自分に対してなのかはわからない。
厄介な感情になんともいえないため息が出そうになる。いま新曲のラブソング(郁が主演の少女漫画原作の映画の主題歌だ)を歌えばいわゆる「王道キラキララブソング」のメロディラインにそぐわない情感になりそうだった。
「葉月さん、そろそろセット完了するのでお願いします」
「あ、はい」
ちょうどいいタイミングで呼び出しがかかる。楽屋を出る直前、相変わらず液晶でお玉を持っている新にべっと舌を出したのはさすがに子どもっぽかったかもしれない。
「新っすかねぇ」
「え?」
テレビから聞こえた自分の名前に思わず声が漏れた。
迎えが来るまであと30分ほど。台本や稽古着用のジャージをバッグに詰める際のBGMとしてなんとはなしにつけていたのは朝の情報番組だった。特にチャンネルなどを選ばず、電源を入れたままが流れていたそれには朝らしい爽やかかつかちっとした格好の陽が映っている。その横には同じようにジャケットを着た郁。
いささか珍しい組み合わせだが、隅に出ているテロップを見て理由に気づく。Procellarumの来週でる新曲は郁の主演の映画の主題歌だ。主演映画のときならではの忙しさはよく知っているので朝から大変だなぁとしみじみため息が出る。
しかしまぁどうしてその流れで自分の名前が出たのだろう。BGM程度に付けていたため、話は特に何も入っていなかった。
「意外ですねぇ、同じプロセラのメンバーじゃないんだ」
「まぁ同じ屋根の下にいますからね、グループ違っても」
「なんで名前出したのにそんな苦い顔してるんだよ」
「男ばっかで花がないのは事実だろ」
「あ、じゃあ俺からもタレコミで、そう言いながらこの前……」
「おいおい!お前何言うつもりだよ!?」
「あははは、仲の良さに朝からファンのみなさんも癒やされてるのではないでしょうか」
アナウンサーがきれいにまとめ、そのまま次のコーナーへと移っていってしまう。朝の情報番組はなにせ時間と情報量が命だ。これが普通のバラエティならば深堀りしてくれそうだったが、残念ながらその時間はないようだった。
郁の発言を聞く限りタレコミめいたコーナーのようだった。新も経験はあるので想像に難くはない。
しかしそのコーナーのどういう話で陽は新の名前を出したのだろう。あくまでこれはProcellarumの新曲の宣伝だ。アイドルとして何を求められているかにストイックな陽ならばグループの話を持ってきそうなものだが、よほどネタがなかったのか、それとも。
あとでパンツのポケットにでも入れようとおもっていた携帯を手に取る。検索をかければすぐにどういう経緯で新の名前が出たのかはわかるだろう。だからすぐに答えは知ろうと思えば、わかる。
「……いやいや」
首を振って携帯は予定通り後ろポケットに差し込んだ。
知るのは簡単だ。
でもどうせ「聞く」なら陽の口から聞きたい。
「新ー、準備できた?」
「すぐ行く」
葵の「月城さんもうくるよ」という言葉に慌てて残りの荷物をバッグへと詰め込んだ。陽にかまけて迷惑をかけました、では何より陽本人に怒られる。
さすがにもう見ている場合ではないのでテレビを切ろうとリモコンを持つ。陽と郁は賢い犬の芸のVTRに夢中になっている。こっちの気も知らずにと一瞬思ったが、まぁどういう理由であれど好きな人が自分の名前を呼んでくれるというのは何が理由でも嬉しいのには違いないのだ。