土を被せるだけの仕事
※AGF前なら何をしてもいいと聞きました 「おい、隼!またおかしなの拾ってきたんじゃねぇだろうな!」 「やだなぁ、心外だよ。そんななんでも拾ってくる幼子みたいに言わないでよ」 「子供のほうがまだましだわ!」  白嵐機関が拠とする建物は都の西側にある。  先の争いや度重なる妖の侵攻により、呪と怨念の交じる荒れ地を清浄化する意味でも建てられたそれは一般の人間どころか並の陰陽師でも視認することすらできない結界に覆われている。  都の要の一つであり、そこに足を踏み入れることができるのは陰陽師として一級以上の力が認められている証拠でもある。  そんな場所だが、中は意外にも喧騒に満ちている。主にこの機関の頂点に位置する男とその直属の部下が原因だったが。 「大体、もし僕が変なのを拾ってきたとしても陽がなんとかしてくれるでしょ。じゃあ問題ないじゃない」  頂点に位置する方、霜月隼は自身の執務室にどたどたと入ってきた部下を見ながらそう微笑んだ。氷にも似た美貌も相まって時折妖ではないかと疑われる彼だが、本人曰く「ただの人間だよ」とのことである。それを頭から信じている人間が果たしてどのくらいいるのかはさておき。 「余計な仕事増やしてんじゃねぇ!ただでさえ今は人が足りてないんだよ、阿呆か!」  そんな隼に対してぎゃんぎゃんと吠える葉月陽は白嵐機関において筆頭陰陽師である。名前や彼の実績しか知らない人間が見たらひっくり返りそうになる光景ではあった。 「そもそも何かを拾ってくるっていう意味では陽も人のこと言えないでしょ」  ぐぅ、と陽の喉がなった。図星を刺されたような形になってようやく冷静になり、襖を後ろ手に閉める。「一緒にすんなよ」と小さく返した。 「俺はお前みたいに面白そうだからでほいほい拾ってこねぇよ」 「陽は優しいからねぇ」 「……それで?」 「あ、今日のはね、これだよ」  隼は手元においていたなにかをおもむろに持ち上げる。適当にかけていた布が落ちる。  それは鳥籠だった。美しい草花の彫り物がされているそれはもはや芸術品の類に近い。  が、それはいわゆる見鬼の才、つまり「視える」能力がないものにとっての話だ。陽にはその中にいるものが見えている。背中に冷たい汗が落ちるほどに嫌なものが。 「お前……」  中に閉じ込められていたのは折り紙の鶴だ。随分上等な紙でおられているそれの体にはびっちりと文字が書き込まれている。虫の行進を思わせる文字たちはぎちぎちと折り紙の上を這いずり回っている。例え話ではない。本当に動いているのだ。  間違いない。あからさまに呪いだ。しかもそのあたりの拝み屋もどきが見様見真似でやっているようなものではない。陰陽師としての基礎を叩き込まれた人間の作った呪いだった。 「よくやるよねぇ」  それをまるで愛玩動物でも見るような顔で隼は眺めている。正気の沙汰ではない。ここが白嵐機関で、この呪いを調伏できる人材には事を欠かないとはいえ、それでもこんなところに呪いを持ち込むほうが「よくやる」としか言いようがない。  何を考えて持ち込んだ、誰かを殺したらどうすると詰めることはできるが、そんな正論を聞くような相手ではない。長年の付き合いは理解も生むが、ときにそれ以上の諦めも生んだ。 「どこで拾ってきたんだよ、そんなもの」 「ちょーっとね。ここに入ろうとしてたから捕まえちゃった」 「犬か猫みたいな感じで捕まえんなよ。その場で祓っとけ」 「お、賑やかだなと思ったら陽か」  陽が後ろ手に締めていた襖から、ではなく、隼のすぐ近くに煙が立ち上る。その煙は徐々に人の形を成し、背の高い男へと変わる。  隼の式鬼である海である。 「おや、海、早かったね」 「大したことじゃなかったからな。お前が今持ってるものの方がよほどやばそうだ」 「海からも言ってくんね?そんなもの拾うなって」 「俺が言って聞くと思うか?」 「ひどいなぁ海も」 「まぁこいつが持ってたほうが安心といえば安心だろ?陽とか涙とかならともかく、そのへんの陰陽師が祓おうとしたら腕一本は少なくとも持ってかれるしな、それ」  海は平然とした顔でそんなことを言ってのける。言葉が通じない妖怪が大半のなか、会話が成立する海は貴重な存在だ。しかし言葉を交わすことができるからといって倫理や道徳までも人間に近いかといわれるとそうではない。  言葉を交わすことができることと価値観が人間に近いかはまた別の話だ。 「で、どうすんだよそれ」 「うん?ああ、せっかくだから見てみたいよね」 「見る?」 「この綺麗な折り鶴の作り主だよ。手先が器用みたいだし、折り紙を眼の前で折ってもらうのもいいよね」  隼が楽しそうに鳥籠を持ちあげると意思のないはずの折り鶴が怯えたように僅かに震えた。  呪いを返されるのと果たしてどちらがましなのかは微妙だが、そもそも呪おうとしたほうが悪いので同情の余地はない。  さすがに表情のひきつる陽とは反対に海は楽しそうに笑って「ほどほどにしておけよ」とたしなめにもならない言葉をかける。こんなところでも価値観の差か。 「そういえば陽、ここに戻る前、お前のこと探してるやつがいたけどいいのか?」 「どんなやつ?」 「この前隼のとこにきてたな。なんちゃら守とか」 「……やっべ」  そもそも今日ここにきた目的がそれだった。海のいうところのなんちゃら守と結界の修繕についての話し合いに来たのだ。それが白嵐機関にきたときの妙な気の揺れの方が気になって完全に忘れていた。 「とにかく隼!これ以上変なもん拾うなよ!」 「はぁい」 「絶対思ってねぇだろ!」  文句を言いながら立ち上がる。そんな陽を隼はひらひらと手を振りながら楽しそうに眺めている。こんなことなら無視すればよかった。  じゃあな!と言い残し、ばたばたと陽が出ていった執務室はすっかり元の静けさを取り戻した。唯一鳥籠の中の折り鶴がかさかさと音を立てていた。  そんな静けさをおもむろに破ったのは海のほうだった。 「よかったのか、言わなくて」 「何が?」 「その呪いの標的、夜だろ?」  夜、というのは陽の式鬼の名前だった。姿は見せなかったが、さっきもこの部屋にいてやり取りを見ていた。あまり人前に姿を出すことを好まないが、式鬼としての格はかなり上級だ。  それこそ並の陰陽師にとっては「恐怖」の対象になるほどに。 「まったく懲りないよねぇ」  力の強い妖を式鬼とすることで得られる利は大きいが同時にそれ以上の危険も伴う。夜の存在は前前から白嵐機関の一部で危険視されている。味方と呼べる立ち位置の人間からもそう思われているのだ。外に目を向ければ様々な理由で夜を狙う者は更に多くいる。  この折り鶴の主もそのうちの一つ、というわけだ。  もちろんそんな呪いの標的に自身の式鬼がなっていることに陽が気が付かないはずがない。気が付かなかったのは隼が呪いの矛先の情報だけを先に消していたからだ。  正直普通に祓ってしまったほうが手間はかからない。呪いというものは織物のようなもので幾重にも幾重にも呪が重なってできている。その中から呪いの対象の相手の糸だけを抜くというのがどれだけ面倒かというのは想像に難くないだろう。  だから先の海の問いには「なんでわざわざそんな面倒なことを?」という疑問も入っている。 「だってわかったら陽はその呪いをかけた人のところいっちゃうでしょ」 「行くなぁ」  あんまり穏やかな結果にはならないだろうということまで想像がつく。実際にそういうことはすでに何度かあったのだ。狙われたのが夜だったり陽自身だったりと違いはあったが。 「そうなるとあんまり良くないと思うんだよね」 「何がだ?陽の立場とかそういうのか?今更あいつを筆頭陰陽師から外すようなやついないだろ」 「そうじゃなくて、なんていうんだろうね。陽自身後味がよくないだろうなって話」  陽は優しいからねぇ、と先程本人の前でも言った言葉を繰り返す。海はぴんときていなさそうな顔をしていたが、これ以上主の判断に口を出す気はないのか「ふぅん」とだけ返した。 「……ここの海はちょっと厳しいね」 「ここの俺?」 「なんでもないよ。それよりお茶にしよう。ついでに買ってきてくれたんでしょ、お茶菓子」 「半分ぐらいそれのためにいかせただろ」 「ふふ、まぁでもそれでも行ってくれるからやっぱり海は海だね」  お茶の準備をし始める海の姿を楽しそうに眺める隼の傍らの鳥籠にはもう何もいなくなっていた。ただ、うっすらと焼け焦げたような匂いだけがどこからかして、すぐに消えた。  その夜のことである。  橋のたもとで男が息を切らしてしゃがみこんでいる。このあたりにいるにしては随分と立派な狩衣を着た男の手には折り紙が握られている。  随分上等なそれの端は黒く炭になっている。いましがた燃やしたようにしか見えない痕だが、男の手元には火種になるようなものはない。 「ど、ど、どうして……」  男は食い入るように折り紙を見つめる。  成功していたはずだ。手順に狂いはなく、道具も十分すぎるほど揃っていた。たかが、式鬼を一匹呪い殺すくらいのことにはやりすぎなほど入念な準備をした。  それなのに明らかに呪いが返されている。  このままだと自分は間違いなく死ぬ。そんな、そんなはずは。 「あの」 「ひぃ!?!?!」  突如声がして男の口からひっくり返った悲鳴が漏れる。気づけばただでさえ影になっていたたもとを更に陰らせるように、月の光を背にして影法師が立っていた。 「あなたですよね」 「は、なに」 「ああ、やっぱりそうですね」  その顔は見えない。月を背にしていることもそうだが、笠が完全に顔を隠している。もはや影というよりぽっかりとした闇がそこにいた。  影法師がふっと笑った声にぞぞぞぞと男の背に寒気が走った。氷の手で背中を撫でられたような感覚。本能が鳥肌をたてている。  思わず後ずさる。砂利を掴んだ手が震えているのがわかる。なぜこんなに目の前のものが恐ろしいのか。 「隼さん、陽にはわざわざわからなくしてたのに俺にはわかるようにしたの、よくわからないな」 「……あ」  影法師のいう名前には聞き覚えが、ある。当たり前だ。男がかけた、そしてもうまもなく返ってくる呪いの相手、式鬼の主の名前。  つまり、眼の前にいるのは。 「安心してください、隼さんから返される呪いよりは苦しくないですよ」 「ご、ごめんな、さ」  影法師が迫る。謝罪など聞き入れてもらえるはずがない。それでも壊れたように繰り返す男の声はやがて影へと溶けた。