02
 当たり前の話だが、探偵と言っても年がら年中謎の館に行ったり遺産を巡る骨肉の争いに巻き込まれたり手鞠歌が意味ありげに伝わる村に行っているわけではない。  事件に巻き込まれていない時の天見というのはわりと暇をしているし、いくら操が過保護といっても20代の普通の男なので普通に出歩く。  まぁ巻き込まれ体質故に行った先で事件に巻き込まれることは少なくはないが。もうこの時点で「普通」という定義から外れだしてしまった気がしたがそこは見ないフリをしよう。  俺がここで話したいのは「普通」の定義じゃない。とにもかくにも天見が名探偵で三歩歩けば事件に巻き込まれる体質といえど行動範囲は普通だということである。  しかしだからといってまさかこんなところで偶然出くわすとは思わないだろう。完全に油断していた。 「あ」 「……あー」 「なんで目を逸らす」 「いや別に……」 「俺だってコンビニぐらい行くんだよ」  それはそう、なのだけれど。今のところ天見を見た場所というのは探偵事務所かあるいは事件現場のどちらかだった。事務所にいるときの天見は探偵業務外のときもあったけれど俺にとっては仕事場である。だから仕事の象徴のような男がこうして日常に顔を出すというのはなんだかおかしな気分だった。  天見の持つかごには新発売のカップラーメンとプリンと炭酸ジュースとお菓子が入っている。俺の買おうと思っていたものとそう変わらない。天見はかなりのいいところの坊ちゃんだと聞いたことがあったが味覚はわりとジャンクである。 「……一人?」 「え、ナンパ?」 「なんでそうなる」  そんなことしようものならば操にはっ倒される。はっ倒されるだけならいいが、下手をすれば俺が犯人に仕立て上げられかねない。想像して嫌な汗が背中を伝う。  どれだけ付き合いが長かろうとあいつはやるときはやる。そういう人間だ。  しかしその操の姿が今店内にいないのも事実だ。しかもこのコンビニは事務所と大して近くはない。いやまぁ天見だって探偵という特殊な職業であることと犯人が見ればわかることと事件にちょっとばかし巻き込まれやすい体質以外は普通の人間である。交友関係だって俺の知らないだけでちゃんと存在しているのかもしれない。実際エリーと友達だったわけだし。 「文人こそ一人?」 「ナンパ?」 「夕飯作ってくれるならナンパでもいいよ」 「お持ち帰りコースを本人に打診しないでくれる?」  天見は横にあるアイスコーナーを覗きながらけらけら笑う。こうしていればやっぱり普通の成人男性である。  いくら顔が知れているとはいえ、Tシャツとスウェットという出立の名探偵がコンビニにいるとは誰も思わないのだろう。周りは天見に気付いている様子もない。もしここで事件でも起きれば天見の存在に気づくのだろうか。  そう、天見がいる以上、ここで事件がいきなり起きることもありえる。名探偵というのはそういう宿命だ、と言っていたのは天見ではなく操のほうだった。 「あー……」  天見が急に落胆したような声をあげた。落胆と言うより、申し訳なさそうななんだかしょっぱい声だった。  とてつもなく嫌な予感がする。 「文人」 「なに?」 「走るの自信ある?」 「は?」 「もしくは腕力か」 「……ちょっと話が読めないんだけど」  ちょいちょいと天見が口元近くで手招きをする。おとなしく耳を寄せると「あのね」と子供の内緒話のような切り口で始められた。 「あそこにいるジャージ着てる男」  言われた方を見ると確かにジャージを着ている男がいる。俺たちがいるアイスコーナーからはよく見えるが、雑誌コーナーのあたりを本を読むでもなくうろうろしている男。不審かといわれれば微妙だ。まぁそういう人もいるかもな……程度である。事実、天見が指すまで俺は気にも留めなかった。  だが、天見がわざわざ指を指したということは。 「犯人」 「……いやなんの?」 「んー、強盗には見えないし、万引き」 「証拠は」 「俺」 「ですよね」  お得意の勘というわけだった。 「ことらもまだ戻ってきそうにないし、戻ってくるの待ってたら逃げそうだし」 「え、なに虎?」 「そう、虎。秘密兵器」  ここは気が付かないうちにサファリパークになってしまったのだろうか。  ふふっといたずらっぽく笑う天見の様子を見てもことらが何者なのかがわからない。さすがに本物の虎ではないだろう。ないといってくれ。  しかしたかが万引き犯といえど男のがたいはいい。俺だって大学までは申し訳程度に剣道をやっていたが、本気で抵抗されたらあまり自信はないし、もうただのフリーライターだ。運動とは無縁に等しい。  それに体格差、というものはなかなか覆しがたい。  どうするか、と考えてるうちに犯人に動きがあった。もぞもぞとジャージのポケットに手を突っ込み、そのまま足は出口に向かう。これは良くない。 「あま」  横には誰もいなくなっていた。これは良くない。本当に良くない。  どこに、と考えるまでもない。出口へ向かう。ジャージの万引き犯を出すべく自動ドアが開く。店員は気付いてすらいない。待て!と言えば止まるだろうか。そう口を開きかけたときだった。  万引き犯の頭が思いきり揺れた。後ろから飛んできたものがその後頭部を捉えたのだ。男は思わず振り返る。俺もそちらを見る。  俺の横にさっきまでいた名探偵は仁王立ちで言い放った。 「そうは問屋がおろさない!」  それは使い方違うから。  万引き犯のすぐ足下にペットボトルが転がっている。天見のカゴに入っていた炭酸はもはや開けたら爆発するだろう危険な代物となっている。しかし所詮はペットボトルである。致命傷にはなりえない。  天見の勢いと後頭部の衝撃にぽかんとしていた万引き犯だったが、店中からあつまる注目に我にかえったらしい。そそくさと逃げようと身をすばやく翻す。しかし天見も「あ、こら!」とお母さんのような呼びかけとともに店を飛び出した。 「ちょ、天見!」  さすがの俺もぽかんとはしていられない。空っぽのカゴを放って後を追う。  コンビニを出て右、左とみれば天見の背中が見える。走り出す。前をいく天見はものすごい遅いわけでないが、いかんせん早くもない。ついでに万引き犯はがたいの割には早い。  このままでは追いつけない。最初から俺がいったほうがまだ勝算があったかもしれない。それでも走るしかない。  だがこの追いかけっこもそう長くは続かなかった。 「あ!ことら!」  前を行く天見が急に何かを叫んだ。それはさっき得意げにいっていた秘密兵器の名前じゃないか?思い出す前に万引き犯の背中が消えた。転んだのか?  追いつけばそこには天見と、それから確保され、というか地面にのされている万引き犯、そしてその万引き犯の腕を締め上げている見たことのないスーツの男。  やっていることに似つかわしくなく、きょとんとした顔で天見の顔を見上げている。 「助かったよ、さすが秘密兵器」 「秘密兵器?誰が?俺?」 「……どういう状況?これ」 「あ、文人。追いかけてきてくれたんだ」 「そりゃ……まぁ……」  そういえば操いないけどこれも記事にした方がいいのか、俺。 「スグ。この人何した人?」  知らずに捕まえたのか、この秘密兵器。よほど天見を信頼しているのか、それとも素直なのか。  白目を剥いている万引き犯ほどでなくともがたいはいいが、くりっとした目の奥は明るく優しげだ。気は優しくて力持ちを辞書でひいたら事例として載せられそうだった 「万引きした人」 「あらぁ」 「ちょっとお客さん達!」  後ろから声がした。振り向けばコンビニの店員が二人走ってくる。そりゃまぁ追いかけてくるよな。突然ペットボトルをぶん投げて鬼ごっこをして出て行った不審者である。俺含めて。 「これはどういう……」 「あ、万引き犯です」  天見は男の持っていた袋をあさる。すると出てくるわ出てくるわ、レジを通していない商品。おそらくこのコンビニだけではないのだろう。こちらに疑わしい視線を向けていた店員の顔もどんどん青くなる。 「で、こっちが刑事です。のでこのまま引き渡します」 「え?刑事?」  店員と俺の声がハモる。店員には「あんたも知らないんかい」という顔をされた。それはそうだろう。  しかしなるほど、秘密兵器。その正体は警察だったわけだ。 「どーも、警視庁捜査一課の柴家です」  それは秘密兵器すぎるだろ、さすがに。 「スグ、危ないことするならせめて文人を盾にしてよ!」 「一般市民を巻き込むんじゃない」 「スグだって一般市民だから!」 「操くん、まず一般市民という意味について協議しようか」  普通の人間ではあるが、一般市民じゃないだろう、この名探偵はもはや。  あれから結局俺は天見にナンパ、もといひきずられる形で事務所に来ていた。どのみちさっきまでの大捕物のことが操にばれれば呼ばれるんだからいいじゃんといわれればまぁ確かにとうなずくほかない。  俺たちが事務所でコンビニにお礼にともらったスイーツをつつきはじめた30分後、帰って来た操は「無事!?」と天見を頭からつま先まで確認し、そのまま説教へとシフトして今だった。 「本当にことらが一緒だからいいけどさぁ……」 「操」 「なに?」 「そろそろうるさい」 「ひどくねぇ!?」 「心配してくれるのはうれしいけど……。というかなんで知ってんの?」 「それは秘密」  どうせSNSだろう。怖いので深くは探っていないが名探偵の信者のネットワークはすさまじいらしい。  ぶちぶちと何かまだ言いたげな操に天見が「ほら」と食べていたワッフルを差し出した。その途端操の顔が多少緩む。まだ言いたげではあるが、これは完全に「あーん」にほだされている。はー、胸焼けしそう。  がぶがぶとお茶を飲んでいると事務所の扉が開いた。ひょこっと顔を出したのは 「スグ、大丈夫だった?」 「ことら」  秘密兵器こと柴家刑事だった。 「大丈夫だって」 「ことらからも言ってやってよ、危ないことすんなって」 「あ、もう操から説教済み?」 「済み済み」  これ以上余計なことを言わせないためかもごもごと操の口にワッフルを押し込む天見。  若干操がどんよりした顔になってるけど大丈夫なのか、それ。口の中が想像だけでぱさぱさになりそうだった。  柴家刑事は慣れた仕草でよいしょと俺の向かいのソファに腰を下ろす。明るい茶色の目と目が合う。 「どこの誰さん?」 「あ、方部といいます。えーっとこの事務所の取材をしているものです」  こういうとき未だになんと説明したらいいか迷ってしまう。しかし柴家刑事は何か合点がいったらしく「ああ!」とうなずいた。 「スグから聞いてますよ!料理がおいしいって!」 「家政婦の情報?」 「事実じゃん」  そりゃまずいっていわれるよりはいいけど。 「改めて、どうも、柴家です。警視庁で刑事をやってます」 「そう、そんで俺の幼馴染み」  柴家刑事の横に滑り込んで天見はプリンに手を伸ばす。俺の座っているソファの背もたれに行儀悪く浅く腰掛けた。  プリン食べる?などとやっている天見と柴家刑事の距離は確かに操に対するものともエリーに対するものとも違う距離の近さだ。  幼馴染みが捜査一課の刑事ねぇ……。 「だから堅苦しくしなくていいんじゃない?」 「なんでお前が決めるんだよ」 「でもできれば俺も堅苦しいの苦手なんで……」 「柴家さんがそういうなら……」 「あーよかった!この事務所で敬語使うとなんか変な感じ!小寅でいいよ!あ!小さいに干支の寅でことらね!!」  こいつはあれか、距離の詰め方がやばい方の人間か。しかしうなずいてしまった手前「やっぱちょっとなしで」とはいえない。 「……幼馴染みっていつからの付き合い?」  とりあえずこういうときは共通の話題から攻めるべし。共通の話題が天見なのはしゃくだが目をつむろう。 「幼稚園の頃からずっと。スグってばその時から事件にまきこまれやすくてさぁ。幼稚園のバスがバスジャックにあったりとか」 「あったねぇ、そんなこと。気の弱い人だったから幼稚園につくまでもたなかったけど」 「途中でリアルにゲロってたもんね」 「ええ……」  そんな遠足とかと同じテンションで語っていいものじゃないだろ、その思い出。 「まぁだから俺、刑事になろうって思ったんだけどさ」 「そうそう、昔から言ってたもんね。スグの前に出てくる悪いやつはおれがやっつけるんだーって。それで本当になれるからすごいよ」  えへへと子供のようにはにかむ小寅。先ほど万引き犯を捕まえたときのことを思い出す。あの男が何者かを聞く前に小寅は天見の一言で男を捕まえた。  よほど天見を信頼しているのか、それとも素直なのか、どっちだとあのとき思ったが、どちらもなのだろう。  素直に天見のことを信じているし、大事にしている。 「……じゃあ天見が探偵するって言ったとき心配じゃなかった?」  思わずぽろっと疑問が口からこぼれ出た。小寅は俺の言葉にぱちぱちと瞬きをしたが「そりゃもう」とうなずいた。 「めっちゃくちゃ反対した。あれほど壮絶な喧嘩も俺とスグの歴史の中にはなかったね」 「手が出なくなった分それ以外がね」 「でもスグは出てたじゃん、足」 「……天見が年上だよね?」 「俺は喧嘩するとき同じ土俵にたつタイプだから」  場合にもよるが誇れることではない。 「俺もその場にいたんだけどさ、あれはすごかったわ……」 「そんでなぜか操が仲裁してもらったからね」  小寅の言葉に天見がそうそうと懐かしげにうなずく。なんだろう、このとんでもエピソード。とはいえ、それぐらいじゃないと長年の天見との付き合いなんてやってられないのかもしれない。 「まぁ操が助手するっていうし、それならとりあえず保護者もいるし、大丈夫かなって。その頃には俺もおまわりさんだったし」 「保護者って。そこは頼りになる助手にしといてよ」 「そもそも俺が雇い主なんだから俺が操の保護者じゃないの?」  天見のずれた突っ込みに小寅が笑う。賑やかだが、心が暖まってしまう光景である。この探偵事務所にきて初めての感情だ。  しかし小寅は知っているのだろうか、その保護者が裏でやっているあれそれを。刑事なのだから知られたらいよいよ操もお縄だし、天見も探偵ではいられなくなる。  …………いやむしろもう知っていて天見のために黙っている可能性も、あるのか?  なんとなくうしろにいる操を見れば意味ありげに微笑まれた。なんだその笑みは。 「小寅は知ってるよ」 「……」 「スグのこと大事にしてるの知ってたしね。それに警察側の協力者もほしかったし」 「わざとか?」 「ノーコメント」  ため息が出る。なんというか、本当に怖いやつだ。幼馴染みのために「黙る」選択をした小寅含めて。  だが、そんな操と小寅にいっとう大事にされている天見が実は一番怖かったりするのかもしれない。 「ねぇ俺が飼い主じゃないの!?操の!」  その名探偵はまだずれたところで憤慨していたし、保護者から飼い主にジョブチェンジをしようとしていた。  飼い主ならばもっとしっかり首輪をつけていてほしい。少なくとも俺にその牙がむかないように。