「先輩、デパートに行きましょう」
三毛犬猫子という犬だか猫だかよくわからない名前の後輩は仁王立ちでそう言った。
放課後の2-Aの教室には俺と猫子しかいない。なので仁王立ちしようがコサックダンスをしようが構わないのだけれど、スカート丈の短さは構って欲しいと思った。
「デパート?」
「デパートです。三越でも高島屋でも構いませんが」
若者向けのファッション中心のビルというわけではなく、本当にデパートだった。
「なんでデパート?」
猫子は世間一般程度には流行り物が好きだ。写真映えがするスイーツがあれば携帯片手に新宿へ向かうし、SNSでもてはやされている韓国コスメがあれば新大久保へ向かう。俺も何度か付き合ったことがあり、そのたびに今のトレンドを教えてくれるが、特に使いどころがないので身にはなっていない。
そんな猫子とデパート。
「おばあさまにきいたんです。昔のデートはデパートにあるレストランでプリンアラモードを食べていたのよと」
「ああ、なるほど」
「だから行きましょう。そしてついでに屋上にあるパンダの乗り物に乗ってください」
「……乗りましょうじゃなくて?」
「先輩が乗るところを見たいのだから乗ってくださいが正しいでしょう」
「なんでだよ」
おばあちゃん子である猫子が祖母のいうところのデパートでプリンアラモードにあこがれるのはわかった。
なぜおれをパンダの乗り物に乗せようとしているのかはわからない。
しかし普段連れていかれる人の多い写真映えのする空間より落ち着けそうなのは確かだ。猫子に比べて世間一般以下しか流行に興味がない俺にとってはキラキラシャラシャラ系のパフェよりも古式ゆかしいプリンアラモードの方がしっくりくる。
しかしそういったデパートのレストランというのはやたら値段が高いイメージがあるが、果たしてプリンアラモードはおいくらなのだろう。
高校生の財布事情に打撃がないかを考えているとそれを拒絶と勘違いしたのか、猫子は「パンダじゃなくてうさぎでもいいですよ」とずれた提案をしてきた。
結局猫子と向かったのは三越でも高島屋でもなく、高校から三駅先にある名もなき百貨店だった。
いや、名前はあるのだろうが、商店街の一角に古くからそびえるそれは近所に住む人間からは「デパート」としか呼ばれておらず、俺たちも結局「デパート」としか認識していなかった。
「本当なら銀座にでもいきたかったんですが」
さすがに放課後に行くのは距離的に無理があったので断念した結果がここだった。
都内のキラキラシャラシャラとは程遠い、年季の降り積もったエスカレーターの手すりを猫子の細い手が撫でる。
「デパートはデパートだろ。それにお前のばあさまが行ってたのってここじゃないのか」
小学生から越してきた俺と違って三毛犬家は曽祖父の代からこの街の住人だ。そんな祖母がデートをしたというのならデパートは銀座ではなくここのはずだ。
「そうですけど、おばあさまの時はまだできたばかりだったから……」
そりゃそうだ。
「こんなことじゃ、屋上にあるか心配で」
「プリンか?」
「プリンが屋上にあるわけないじゃないですか。パンダですよ」
「……ああ、そう」
なんだってこいつは俺をそんなにパンダに乗せたがるんだ。
「今度行くか?」
「え!」
「上野動物園」
「……え?なんで?」
あからさまな落胆に俺の方が「なんで?」と聞き返したくなる。パンダが好きなわけじゃないのか。
じゃああの乗り物か?
「じゃあ遊園地とか」
「なんで急に先輩は私を娯楽施設に連れて行こうと思ったんですか?」
「好きかと思って」
「好きですけど……」
釈然としない返事。
しかし俺が質問を重ねる前に「あ!着きましたよ!」と猫子が到着を知らせる。
しかしすぐにその元気は風船を萎ませるように力を失った。
「臨時休業……」
ものの見事にレストランはシャッターが降りていた。
手書きの貼り紙を見れば「臨時休業」とある。
猫子は愕然とその張り紙を見つめている。
「他にレストランは」
「ないです……ここだけ。他にもあったらしいんですが潰れちゃって……」
この階一帯でシャッターが降りていたから気が付かなかったが、どうやら元は目の前のレストランだけでなく、他にも飲食店があったようだった。
よくみれば臨時休業の張り紙もところどころくすんでいる。昨日今日で貼られたものではないらしい。
猫子がそれに気がついているかがわからないのでとりあえず黙っておくことにした。
「……パンダ、乗りに行くか?」
この分だと屋上にあったという遊具スペースもあるかどうかが怪しいが、さすがにそう提案してみる。
猫子はそれでもしばらく張り紙を見つめていたが、
「乗るのは私じゃなくて先輩ですからね」
「だからなんでだよ」
パンダも乗るなら俺よりも可愛らしい女の子のほうが喜ぶのではないだろうか。
幸いなことに屋上は「わいわいパーク」という名前が虚しくなる程度に寂れてはいたものの、それでも遊具などは撤去されていなかった。
係員がいないのでミニ観覧車は使えないようだが、今日の目的はそちらではない。
「先輩!いましたよ、パンダ」
遊ばれたあと放置されたのか、壁に顔面を激突させたままのパンダがいた。ついでに少し離れた屋根の下にはアンパンマンのゲームの横に犬もうさぎもいた。
「パンダじゃなくてもいいですよ、どれがいいですか」
猫子はもう片手に財布を握り込んでいた。
不本意かつ本人のリクエストとはいえ、後輩にパンダの遊具を乗る金を出してもらう。パンダのことを笑えないほど間の抜けた光景だ。
しかしここで金ぐらいといっても聞かないのが猫子なのである。それなら大人しく俺が間抜けになった方がいいだろう。
「じゃあパンダで……」
「はーい」
お金が入るとパンダか途端に壁に向かったまま愉快なメロディを奏で始める。
「ほら、先輩」
「はいはい」
音の割れた音楽を鳴き声がわりにあげるパンダに乗り込む。ハンドル操作なのでとりあえず壁にめり込んでいる状態から脱出を試みる。
が。
「意外と難しいなこいつ……」
ゴーカートのように勢いよくハンドルが切れるわけでも滑らかに操作が反映されるわけでもない。それでも悲鳴を上げながら旋回を試みるパンダにだんだん使命感のようなものがわいてくる。
何度もハンドルを切り返し、ようやくパンダは壁への激突をやめ、まっすぐ屋上への道を進み出す。
ここから先はもう乗っていればいいだろう。
「先輩、こっちみてください」
「あ?」
「素敵です。笑って?」
何が楽しいのか猫子はやたら上機嫌にカメラを俺に向けていた。
しかし先ほどの落胆を思えばここまで機嫌を戻してくれるなら安いものだ。
「ほら」
「あ、やっぱ真顔の方が素敵です」
「パンダで激突してやろうか」
「冗談ですよ」
ぴろぴろと音の割れたメロディを流すパンダに乗る男、それを嬉しそうに取るセーラー服の美少女。間が抜けたを通り越して珍妙な光景だった。
見上げれば屋上のせいか、夕暮れが近い。目の前の猫子は楽しそうにキャラキャラと笑っている。
ならばこの奇妙な光景も間の抜けた絵面も悪くはない。
「猫子」
「なんですか?」
「やっぱり今度動物園にでもいこう」
「へ?」
「パンダ、お前と本物が見てみたい」
猫子の携帯からぴろんと音がする。こいつ、今まで動画で撮ってたな。
「先輩」
「なに?」
「動物園にもプリンありますかね」
「あるだろ」
その言葉に猫目を柔らかく緩めた猫子の顔こそ、携帯に収めるべきものだった。